現在、日本では毎年約100万人ががんと診断され、約38万人ががんで亡くなっています。がんと向き合って生活している人は、少なくとも300万人以上いると報告されています。
がんは決して珍しい病気ではありませんが、身体的な苦痛や治療に伴う重い副作用に加え、「がんと診断されること」そのものが、患者さんに大きな心理的負担をもたらします。

がん患者の約50%に精神科的な問題がみられるという報告もあり、命に関わる病気であるがんは、患者さんにとって極めて大きな精神的ストレスとなります。

がん治療の進歩と、こころの問題の変化

約30年前、がんの治療は外科的治療が中心で、抗がん剤治療や放射線治療の選択肢は限られていました。治療に伴う苦痛が大きい一方で、治療成績は十分とは言えず、術後の衰弱や合併症に苦しむ患者さんも少なくありませんでした。
当時は緩和医療も十分に普及しておらず、がん治療は患者さんにとって孤独で、先の見えない苦しみであったと考えられます。

一方で、近年のがん治療の進歩は目覚ましく、治療成績や予後は大きく改善しています。治療後に社会復帰し、仕事や家事、育児を続けながら生活されている方は増えています。そのため現在では、治療後の生活の質(Quality of life: QOL)が非常に重要視されています。
また、根治が難しいと判断された場合でも、延命や症状緩和、生活の質を保つための支援が重要となっています。

がんに関する検査・健診で生じる不安

がんと診断される前の段階から、患者さんは大きな心理的ストレスにさらされます。
健診で異常を指摘され、「がんの疑いがあります」と説明されただけで、不安が強まり食欲が落ちたり、眠れなくなったりする方は少なくありません。病気のことが気になり、仕事や家事に集中できなくなることあります。

「もしがんだったらどうしよう」「夜中までがんについてスマホで調べてしまう」といった不安は、決して特別な反応ではありません。
実際には精密検査の結果、がん(悪性)ではないケースも多く、終わってみれば大事に至らないことも少なくありませんが、検査結果が出るまでの期間は強い不安が続きやすい時期です。

がんと診断されたときに生じるこころの問題

がんと診断されても、早期で根治が期待できる場合は多くあります。適切な手術や治療を受け、再発なく健康的な生活を送っている方も少なくありません。
しかし、治療開始前や治療の経過中には、不眠、不安感、抑うつ気分、食欲低下などの精神症状がみられることがあります。

こうした場合、支持的な精神療法と必用に応じた薬物療法を行うことで、症状が改善し、その後の治療に前向きに取り組めるようになることも多くあります。
精神症状が軽減すると、日常生活に戻れるケースも多く、がんと診断されたからといってすぐに絶望する必要はありません。

根治が難しいいがんの場合のこころの問題

根治が困難ながんの場合、状況はより深刻となり、患者さん本人だけでなく家族も含めて、さまざまな精神症状が現れます。
将来への不安や家族への心配から、不眠、不安感、抑うつ気分、倦怠感、意欲低下、悲観的な考えが強まることがあります。

自分の人生を振り返り、強い後悔を抱いたり、「がんになったことで人生が無駄で無意味に感じてしまう」こともあります。
また、患者さんを支える家族も同様に精神的な負担を抱え、時には本人以上に混乱し不安定になることもあります。

このような状況では、一人で悩みを抱え込まないことが何より重要です。信頼できる人に相談し、できるだけ冷静に今後の治療方針を考えることが大切です。
抑鬱状態が深刻になると、治療の選択肢を諦めてしまい、本来救える可能性があった時間や選択を失ってしまうこともあります。精神症状が強い場合には、精神科での治療を受けることが勧められます。

がん治療における精神科薬物療法

がん患者さんの精神症状に対しては、睡眠薬、抗不安薬、抗うつ薬、抗精神病薬などの向精神薬が用いられることがあります。
以前は全身状態や副作用を懸念し、がん患者さんへの精神科薬物療法を控える傾向がありましたが、現在では、苦痛の軽減という観点から、薬物療法の有用性が重視されています。

投薬にあたっては、身体疾患、栄養状態、意識状態、他の薬剤との相互作用など十分に考慮し、慎重に行います。
不眠や抑うつ症状が改善することで、息苦しさ、吐き気、倦怠感、食欲低下などの身体症状も軽減し、患者さんのQOLが大きく向上することがあります。

がん治療における心理的サポート

当院では、総合病院の緩和ケアチームのような包括的な支援は難しいものの、患者さんの日常生活に近い場所で、継続的な心理的サポートを行うことが可能です。
支持的精神療法を基本とし、病気や病状についての正しい理解を促します。

がんと診断されたことによる不安や恐怖心は、自然で正常なこころの反応です。診断初期の心理的混乱を否定せず、理解し受け止めることが大切です。
必要に応じて、過度に悲観的な考えを整理し、漠然とした不安を具体的な問題として捉え、対処できる部分を一つずつ考えていきます。

患者さんがこれまで担ってきた役割や、今後の役割の変化、家族との関係について話していただくこともあります。可能な限り日常生活を維持し、自分らしい時間や大切な思い出を積み重ねていくことを支援します。

がん患者さんを支える家族のこころの問題

がんとこころの問題を考える際、患者さん本人だけでなく、家族(特に配偶者)のこころの状態も重要です。
患者さん本人は比較的冷静に受け止めている一方で、家族が強い不安や不眠を訴え、精神科を受診されるケースも少なくありません。

家族は、「患者の前では弱音を吐けない」「自分がしっかりしなければ」と我慢しがちですが、症状が強まり日常生活に支障が出ている場合には、早めに相談することが大切です。
家族の精神的な安定は、患者さんのQOLや治療経過にも良い影響を与えると考えられています。